遣唐使が廃止される (日本史011)
894年、菅原道真(「すがわらのみちざね」:大宰府に左遷(させん)され、京を離れるときに詠んだ『東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』という歌が有名である)の意見が取り入れられ、遣唐使が廃止された。
遣唐使が廃止されたのは、唐(当時の中国の王朝)の勢いが衰え、唐の国内が乱れていたこと、そして、わが国においても文化が発達してきたおり、危険な航海をしてまで、唐に渡る必要性に疑問が生じてきたことが理由として挙げられる。
遣唐使の廃止後は、大陸文化の影響がうすれ、わが国独特の味わい深い文化が発達した。これを『国風文化』と呼ぶ。
注意!!『遣唐使』の「ケン」は派遣の「けん」遺跡の「イ」と書いてしまう人がけっこういるので気をつけよう!!
遣唐使が廃止されたのは、唐(当時の中国の王朝)の勢いが衰え、唐の国内が乱れていたこと、そして、わが国においても文化が発達してきたおり、危険な航海をしてまで、唐に渡る必要性に疑問が生じてきたことが理由として挙げられる。
遣唐使の廃止後は、大陸文化の影響がうすれ、わが国独特の味わい深い文化が発達した。これを『国風文化』と呼ぶ。
注意!!『遣唐使』の「ケン」は派遣の「けん」遺跡の「イ」と書いてしまう人がけっこういるので気をつけよう!!
白河上皇が院政を始める (日本史005)
藤原道長・頼通父子のころに全盛期を迎えた摂関政治であったが、頼通のあと、天皇との外戚(がいせき)関係がとだえた。
11世紀の後半、後三条天皇のあとをついだ白河天皇は1086年に天皇の位を堀河天皇にゆずったあとも、上皇の御所(これを「院」という)で政治を行った。これが院政の始まりである。
白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇の3代、11世紀末から12世紀末までのおよそ100年間を院政時代という。
ちなみに白河上皇をはじめ、院政時代の上皇は、仏教を深く信仰し、後に出家して、法皇となった。
歴史的できごと・・・・『白河上皇が院政を始める』
起こった年号・・・・1086年
歴史年号の覚え方・・・・院政を いちおうやろうと 白河上皇
11世紀の後半、後三条天皇のあとをついだ白河天皇は1086年に天皇の位を堀河天皇にゆずったあとも、上皇の御所(これを「院」という)で政治を行った。これが院政の始まりである。
白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇の3代、11世紀末から12世紀末までのおよそ100年間を院政時代という。
ちなみに白河上皇をはじめ、院政時代の上皇は、仏教を深く信仰し、後に出家して、法皇となった。
歴史的できごと・・・・『白河上皇が院政を始める』
起こった年号・・・・1086年
歴史年号の覚え方・・・・院政を いちおうやろうと 白河上皇






