徳政令が出される(日本史24)
元寇と鎌倉幕府の衰え
徳政令を語る上で、避けて通れないのが「元寇(1274年,1281年)」である。そこで、ここでは「元寇」についても少し書いてみたい。
元寇によって、貴族や武士の間には「国(国家)」に対する自覚が高まっていった。元軍をしりぞけた2度の暴風を「神風」とよび、日本を「神の国」とする思想(神国思想)が生まれた。
一方、幕府にとっては、元の襲来へのそなえや、2度にわたる元軍との戦いで出費が増え、財政が苦しくなっていた。
元寇で、北九州に集結した御家人たちは、生活が苦しくなった。また、御家人が手柄を立てても、幕府には恩賞として与える土地もなく、幕府に不満を持つ御家人も多かった。
鎌倉時代には貨幣の使用が盛んになっていたので、生活に困った御家人は土地を売ったり、質に入れたりするものもでてきた。そこで、幕府が御家人を救うために出したのが「徳政令」であった。
1297年の徳政令を、年号をとって「永仁の徳政令」とよぶ。徳政令によって、御家人の領地の売買・質入れを禁止し、売られた土地はタダで取り返させたのだが、かえって経済が混乱したのであった。
この後、幕府は衰え、1333年に鎌倉幕府は滅亡することになる。
歴史的なできごと・・・永仁の徳政令が出される
年号の暗記法:1297(皮肉な徳政令)
徳政令を語る上で、避けて通れないのが「元寇(1274年,1281年)」である。そこで、ここでは「元寇」についても少し書いてみたい。
元寇によって、貴族や武士の間には「国(国家)」に対する自覚が高まっていった。元軍をしりぞけた2度の暴風を「神風」とよび、日本を「神の国」とする思想(神国思想)が生まれた。
一方、幕府にとっては、元の襲来へのそなえや、2度にわたる元軍との戦いで出費が増え、財政が苦しくなっていた。
元寇で、北九州に集結した御家人たちは、生活が苦しくなった。また、御家人が手柄を立てても、幕府には恩賞として与える土地もなく、幕府に不満を持つ御家人も多かった。
鎌倉時代には貨幣の使用が盛んになっていたので、生活に困った御家人は土地を売ったり、質に入れたりするものもでてきた。そこで、幕府が御家人を救うために出したのが「徳政令」であった。
1297年の徳政令を、年号をとって「永仁の徳政令」とよぶ。徳政令によって、御家人の領地の売買・質入れを禁止し、売られた土地はタダで取り返させたのだが、かえって経済が混乱したのであった。
この後、幕府は衰え、1333年に鎌倉幕府は滅亡することになる。
歴史的なできごと・・・永仁の徳政令が出される
年号の暗記法:1297(皮肉な徳政令)





